ゆっくり待つ
- Izumi Tsurumi

- Nov 21, 2021
- 3 min read
先日、初の干し柿作りに参加した。近所のおばあちゃん達に囲まれながら、たっぷり、じっくり時間をかけながら丁寧に一つ一つ柿の皮をむく。そして、しっかりと個々の柿を紐で縛り太陽の光と風に晒す。毎日柿の状態を確認し、「美味しくなあれ」と願いながら潰れない程度に一つ一つ丁寧に手もみをする。白カビが生えていたらさっと拭き取ってあげる。
干し柿に使っている柿は「渋柿」という種類の柿で、市販の柿とは違い、もぎたて時は渋くて渋くてとても口にできないそうだ。時間をかけて干すことによって、渋みが甘みに変わっていく。日々だんだん表面がシワシワになり、柔らかくなり、萎んでいく柿を見守り、目に見えないところで渋みが甘みにゆっくりと変わっていくことを想像しながら、美味しい干し柿ができるのを見守りながら待つ。

ゆっくりと待つ大切さ。
今の現代社会では、大抵の物は欲しいなと思ったら数回携帯をクリックすれば翌日手元に届き、求めている情報も同じような手順で瞬時に手に入る。これがいつしか私たちの常識として根付き、私たちは要求するものは、なんでもすぐに手に入るのが当たり前と感じるようになってしまった。さらには「手に入らなければ何かおかしい」という変な勘違いに陥っているような気がしてならない。
でも、この「すぐ手に入る」という習慣は、この十数年ほどで出現してきたもので、一昔前は、人間は生活の様々な面でゆっくりと待つということが習慣づいていたはずだ。干し柿もそう。美味しいものを食べたいと思ったら、コンビニにいくのではなく、美味しいものを時間をかけて手間をかけて作る。このゆっくり、丁寧に辛抱強くという精神は、自分と付き合う上でもとても重要な気がする。
私たちは仕事や日々の生活において、目に見える外向きの結果を追いかけて、せかせかと日々動き回り、疲弊し、葛藤している。私たちの人生は、一日一日の小さくささやかな変化のつみ重ねで成り立っているというあり方をすっかり見落としてしまっている。もちろん、大きく飛躍する時や変化するときも時にはあるけれど、人生の大半は、1ヶ月、1年、10年、一生....と小さな変化の積み重ねで築かれている。モヤモヤ・すっきり、期待・絶望、寂しさ・喜びなどの色々な感情や心の中で渦巻く矛盾と共存しながら、徐々に本来の自分らしさに向かって成長していっている。このゆっくりと内側の変化を見つめ、大事にすることを習慣にできれば、外向きの「こうあるべき」という概念に囚われ、せかせかと結果ばかりを追いかける自分から解放され、日々自分を優しく受け入れられるのではないか?
ゆっくりと変化する自分を見守る大切さ。
そんなことを思いながら、ゆっくり、じっくり見守ってきた干し柿が、明日には食べられるかなーと些細な楽しみを感じながら、ほっこり幸せな秋に浸っている。




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